フランス軍の次なる戦略目標はまたしてもイタリア軍の分断であった。フランス軍は西のアルパイン線に敵軍をある程度引き付けながら、東から迅速にイタリア北部に侵入し、ジェノヴァまでの道を切り開いてリグリア海に出る。そうなれば、イタリア軍は今度は南北に分断されることになる。ローマへ進むのはその後だ。
フランス軍が戦略を策定し、第1戦域軍がイタリアの東部に配置に着いたそのころ、イギリスからの使者が驚くべき情報をもたらす。なんと彼らは独力で海上から揚陸し、イタリアの首都ローマを陥落させることに成功したという。シチリア島占領に続くこのイギリス軍の戦果に、委員会は喜ぶべきか憂うべきか複雑な心境であった。
というのも、友軍の戦果は喜ばしいものだが、この戦争で第一の戦功を誇るべきはフランスだからだ。これまでの戦争で最大の戦果を挙げ、最大の犠牲を払ってきたのは間違いなくフランスなのだから。強力な海軍に守られ、手薄なところを攻撃するばかりのイギリスに譲ってなるものか。しかしどのみち、ローマを占領した部隊も長くはもたずにシチリア島へ撤退する羽目になろう。彼らはイタリア軍の精強さ、軍備の豊富ぶりを知らぬのだ。委員会の面々はイギリス公使ののんきな浮かれ顔をみて溜飲を下げた。ともあれ、敵が首都ローマを取り戻すために戦力を割かざるを得ない状況になったことは歓迎すべきだ。フランス軍はさっそく予定通り行動を開始する。
イタリア軍の主力がローマの奪還に向かっていたことや、アルパイン線に多くの敵を引き付けられていたこともあり、9個もの師団を包囲殲滅することに成功するなど緒戦は順調であった。しかし委員会の安堵もつかの間、極東の情報筋から恐ろしい報せが入る。
なんと日本は交戦中のソヴィエトとの抗争よりも南進を優先する方針を選んだようだ。彼らは南方、つまりフランス領東南アジアを狙っている。もはや闘いはヨーロッパだけでは終わらないことが確定した。一刻も早く西の敵を片付け、軍を極東に動かさねばならない。幸い、ドイツから海軍工廠を接収したこともあり、フランス海軍は今ではイギリスに次ぐ規模を持っていた。彼らなら日本海軍とも対等以上に戦いうるであろう。
このフランスに対する侮辱のような報せに憤ったかのように、フランス第1戦域軍の進撃はとどまることなく進み、7月、機甲師団を含む15師団を殲滅することに成功。
10月にはジェノヴァを占領し南北分断の作戦目標を達成。ローマ入城――イギリス軍はローマから撤退し、ナポリで抵抗していた――はもはや目前だ。
フランス軍は10月17日、さしたる抵抗もなくローマを占領した。
首都を長靴のかかとの都市タラントに移したイタリア政府は、何を思ったかギリシアに対して領土を要求する。フランス軍との戦争により失われた領土の代わりを求めたのかもしれないが、ギリシアを占領したところでフランスとは地続きなのだから守り切れはしないだろう。それともなにか秘策があるのだろうか。この状況を覆す最後の一手が。しかしながら、この通告を受けたギリシアはほどなくして連合国に入り、イギリスの傘下に守られることとなった。そうなってしまっては結局、今のイタリアの力では手出しができないのだった。しかし、話はこれで終わらなかった。
これがムッソリーニの、あるいはヒトラーの秘策だったのだろうか? 1941年1月2日、スペインは枢軸同盟への加入を宣言し、仏英に宣戦布告する。フランスの南西国境はがら空きだ。スペインに背後を刺され、アルパイン線を包囲されれば非常に厄介なことになる。この報告は委員会を久々に慌てさせた。
とはいえ、結局のところファシストの打つ手のすべては後手後手であった。フランス軍はすでにローマを占領し、北のイタリア軍もアルプスの奥地に追い詰められつつあった。ほどなくしてイタリア・タラント政府は降伏。フランス第1戦域軍は大急ぎでスペイン国境に集結した。
南仏はすでにスペインに領土を侵されつつあった。フランス人の地を急いで取り返さねば。国境に見えるは約90個師団。対するフランスも、新師団の編成と軍団再編により誕生した新軍団も数えると――ユゴー・カンロベールという名の若い将校、経験は浅いが新生共和国への忠誠心は人一倍の彼を委員会は子飼いの将軍として第4軍の指揮官に抜擢した――、師団数は同等だ。だが、練度と師団内の旅団数で勝るフランスは――特に航空戦力で圧倒していたこともあり――敵のこれ以上の進軍を食い止めることに成功し、逆侵攻を開始する。
敵も血みどろの内戦を戦ってきただけある強敵だった。しかし、戦力も練度も士気もすべてがドイツ・イタリアを相手に勝ち続けてきたフランス軍には及ばなかった。フランス軍はその機動力を活かし、41年3月から4月にかけて、国境東西で40個ほどの師団を包囲殲滅する。これで早くも大勢は決した。
フランス軍は無人の野を駆けるがごとくスペイン領内を侵攻していき、7月3日、スペインはフランスに膝を屈した。
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