ファシストに最後の一撃を加えるときが来た。フランス空軍は海軍と共同し、東シナ海の制空権・制海権を確保し、来たる日本列島上陸戦に備える。
ヨーロッパ本土では主力の第1軍と新兵からなる第5軍が国境に兵を多数配備し撤兵する気配を見せないコミンテルン・ソビエトを警戒し、現状の国境である旧ルーマニア領の占領ラインを守っていた。また、主に騎兵からなる憲兵隊が新たに組織され、ドイツの都市部で自由と平等に根強く抵抗するファシストのレジスタンスを鎮圧する。ベルリンなどの大都市で操業停止に追い込まれていた工場が再稼働されるようになると、フランスの工業力は爆発的に増加した。
43年2月。ブレストで特殊訓練を受けた海兵隊5師団が東シナ海の対岸に九州をうかがえる寧波市に到着。
上陸の目標は長崎の軍港と定め、配備できるだけの航空戦力を東シナ海上空に飛ばし、艦隊が上陸を支援する。
4月。準備万端整い、カンロベール将軍率いる海兵隊5師団が長崎に上陸する。日本軍は大陸で失った戦力を取り戻しきれていなかったためか、軍港を守るのはわずか2師団であった。敵は上陸戦に備えた要塞を築いており、粘り強い戦いぶりをみせたが――
4月21日、ついに長崎に橋頭保を築くことに成功した。
日本本土への補給線を確保したフランス軍は続いて第2軍が上陸。本格的な本土戦を開始する。といっても、日本軍の兵力の大半は大陸の奥地で全滅の憂き目に遭っており、もはや本土を守るは数個師団のみであった。
フランス軍は5月中には広島、大阪、名古屋と西日本の主要都市を陥落させると、第3軍の機甲師団を上陸させ、占領戦に拍車をかける。大本営を仙台に移した日本軍は首都東京の守りを捨てており、5月29日、フランス軍は東京を無血占領した。
しかし東京からの撤兵が遅れた2個師団は関東の奥地であえなく包囲され、殲滅される。フランス軍は6月6日、仙台を占領するが、日本軍は大本営を札幌へ移し、なおも抵抗をつづける。
しかしフランス軍の勢いはとどまることなく、日本軍に最後に残された1個師団を追い立てるように北海道へ進み、札幌を占領し――
戦争は終わった。
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