では、一般に「ウォーキング・シミュレーター」などとバカにされる――といっても「あの類」を他に何と呼べばいいのだろう、徘徊型アドベンチャーゲームとでもしようか――類のアドベンチャーゲームの場合はどうだろう? これもやはり、面白いゲームとして成り立たせるには情動を刺激するものがなくてはならない。例えばパズル的な要素をもたせてプレイヤーに退屈させることなく物語を楽しませたり、逆に徹底して歩くことそれ自体に深い物語性をもたせてプレイヤーを感動させたりといった具合だ。
「ウォーキング・シミュレーター」なる語は単にアドベンチャーゲームが嫌いなタイプの人間から反射や習慣で呼ばれることも多いが、特に多くの人から侮蔑をこめてそう呼ばれる場合、このようなゲーム性をもたせることに失敗した例であることがままある。この Conclusion という「ウォーキング・シミュレーター」はまさにその失敗の典型例であり、結果としてこの不名誉なジャンル名に存在意義を持たせるのに一役買ってしまっている。
ゲームが始まると、プレイヤーは雪山の奥地に放り出される。一人称視点のためわかりづらいが、声からしてどうやら男性のようだ。道に落ちているメモを拾う。それはどうやらこの人物の日記のようだ。学生のころから抱えるコンプレックス、アルコール依存症でリハビリテーションに取り組んでいたこと、家族に捨てられたこと……メモを拾うごとにその人物は記憶を取り戻していく。そして最後は彼がなぜこんな雪山にいたかが明かされたところで唐突にゲームが終わる。
ウォーキング・シミュレーターと呼ばれるゲームにはこうした「記憶のかけら」を集めて物語を形成するタイプのゲームが多い。こうしたやり方で成功したゲームもまた多い。Gone Home はまさしくその代表格だが、それほどの大物でなくとも Home is Where One Starts... や Gone In November など、 そうした成功作はこのブログでレビューしている(ついでに日本語化もしました)だけでも複数ある。
メモを拾って読まされる、それ自体は結構なのだが…… |
歩く道には散乱するゴミや血のりのついた墓などオブジェクトが転がってはいるが、それらに意味を持たせられていない |
容量と重さに見合わない画質 |
定価200円のゲームに辛辣こそすぎるといわれるだろうか。しかし私はこの手の徘徊型アドベンチャーゲームのファンであり、先に挙げた Gone... や Home... など低価格でも楽しめる「ウォーキング・シミュレーター」を知っている。本家本元の Gone Home こそ定価は2000円とそれなりの値段だが、Gone も Home も200円前後であることを確認してほしい。この手の「ウォーキング・シミュレーター」は低予算で作れることがデベロッパーにとっても魅力なのだろうが、せっかく作るのであればしっかりと情動を刺激してくれる「ゲーム」に仕上げてもらいたいものだ。と、こうした結論(conclusion)を導くことができたことが、このゲームを遊んで得ることのできた唯一の意義かもしれない。
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