英国との開戦により、フランスは英国の同盟国――連合王国傘下国も含む――とも戦争状態に入った。他方、米国および米国とともに日本に宣戦布告したその同盟国は英国の参戦要請に応じなかった。連合国はいわば英国派と米国派に分かれた形だ。日本という同じ敵を攻撃する間柄同士で戦うことはできないということだろう。最悪の場合、英米との同時戦争も辞さない覚悟であったフランスは若干拍子抜けしたが、ともあれ英国とその同盟国が強大な敵であることに変わりはない。
主だった敵は英国、スイス、デンマーク、ノルウェー、そしてインドやオーストラリアなど連合王国の傘下国だ。
フランス軍はまずは地続きの国を平定に向かう。
このうち、周囲をフランスに完全に囲まれた陸の孤島であるスイスは開戦からわずか5日後、タッシニー将軍率いるフランス第2軍の鍛え抜かれた山岳歩兵に蹂躙されて降伏した。
これも中立主義を捨てて連合国に参加した報いだ。
フランスは同時にデンマークへ侵攻するが、これに危機感を覚えたスウェーデンが英国と同盟し、対仏戦争に参戦する。なんとも無益な抵抗だ。かえってノルウェーに渡る道を作ってくれたことに感謝したいぐらいだ。
デンマークの30個師団はフランス軍の機甲師団に蹂躙され、ユトランド半島で分断される。軍の主力が半島で殲滅されたデンマークは3月17日、早くもフランスに降伏した。第3軍はそのままスウェーデン・ノルウェーの制圧に向かう一方、第1軍は他の作戦のために移動を始めた。
そのころ、英仏海峡では海戦が発生していた。ジャン=ピエール・エストヴァ提督率いる潜水艦隊が英国海軍に捕捉され、航空戦力も交えた激しい海戦に発展していた。
しかし、フランスの真の目的は英仏海峡の制圧ではなかった。英仏海峡に敵海軍を引き付けているうちに、フランス海軍の主力艦隊は北海の制海権を確保しており、海兵隊がひそかに比較的手薄なグレートブリテン北部に上陸しようとしていたのだった。
また、ジブラルタルには26個もの師団が守りを固めていたが、本土への増援となりうる兵力を徹底的に削るため、フランス軍は多少の犠牲を覚悟して要塞に突撃し、3月25日、駐屯軍団を降伏せしめた。
インド戦線では厳しい地形のため侵攻は難しいものと思われたが、インド軍はビルマ東南の海岸沿いに長く沿って兵を配置しており、容易に分断することができた。これにより、この方面でのフランス軍の優位も決まった。
フランス海兵隊は29日、グレートブリテン北部のロサイスに橋頭保を築くことに成功。
そこから歴戦の第1軍が上陸し、イギリス本土の制圧に向かう。
ニューカッスルからカーライルにかけての山岳地帯で――かつてハドリアヌスが長城を築いた防衛線である――イギリス軍は果敢な抵抗をみせ、第1軍の進撃はそこで停止するかと思われたが、機甲師団が中央突破に成功。包囲殲滅を狙うフランス軍と、させじと抵抗するイギリス軍のあいだで激しい戦闘が行われる。だが、これもまた大きな作戦の一部であった。
英仏海峡の制海権を握ったフランス軍は5月24日、英国南部のドーバーに上陸する。イギリス軍は北方の激しい戦闘に全戦力を引き付けられており、ドーバーから上陸したフランス軍はさしたる抵抗もなくロンドンの占領に成功した。
首都を失い、南北から挟撃されたイギリス軍はもはやなすすべなく、都市部にこもり、絶望的な抵抗をするのみであった。
6月、イギリス軍はついに完全に分断され、包囲殲滅を待つのみとなる。そして20日、フランス軍がイギリスの臨時首都リヴァプールを占領すると――
イギリスは白旗をあげた。
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