2016年12月18日日曜日

HoI4: フランス AAR 第12章 極東攻略

目次


1942年1月、ヨーロッパにおける戦乱はついに終結した。だがフランスにはまだ休息の日は訪れない。では次の敵は?
イタリアが降伏したそのときも、指導者ヒトラーとムッソリーニを捕らえることはできなかった。確かな情報はないが、彼らはどうやらジブラルタルがスペインの手に落ちたその隙に、心情的には明らかにファシスト寄りの「中立国」ポルトガルに潜水艦で渡り、その後は安全な南米の「中立国」への亡命を企てていたようだが、制空権・制海権ともに仏英に握られている状況下にあってそれは難しく、今もポルトガルのどこかに潜んでいるものと考えられる。


またスペインの指導者フランコも、本土での戦に勝ち目がないと見るや、ジブラルタルを渡ってスペイン領アフリカのどこかに逃げ込んだという。これもすべてはフランスがこれまでアフリカ戦線を放置し、イタリア・スペインが占領するに任せていたせいだ。厳しく得るものが少ない土地だが、いつかはアフリカを制圧せねばなるまい。


だがいまや枢軸国の手綱を握るのは彼らではない。委員会は避け得ない日本との対決に備え、南インドシナの要塞化を決定する。インフラと補給港を整備し、ここをアジア戦線の拠点とするのだ。北インドシナはすでに敵の手に落ちていた。だが複雑な地形とイギリス軍の妨害が時間を十分に稼いでくれるはずだ。


その間に、フランス第2軍と第3軍は海軍の護衛のもと、さっそく海上輸送でインドシナに運ばれる。


フランス軍はこの戦争ですでに80万もの成人男性を失っていた。引き返せない一線はとうに越えている。このうえは最後のファシスト・日本を完全に打倒するまで戦うほかない。フランスは徴兵法を改め、さらなる兵力の動員をはかる。


第2軍は奪われた領土を取り戻すために北へ、第3軍は日本の傀儡と化したシャムを制圧するために西へ。作戦の大筋は決まった。


シャムとの戦争は実にあっけなく終わった。日本の傀儡となってからも兵がほとんど配備されておらず、第3軍が首都バンコクへ進軍すると、なんともあっさりと降伏を認めた。第3軍は若干拍子抜けしつつも、一部取り残された日本軍を片付けると対日戦を完遂するために北上する。


両軍の次なる目標は、ファシスト勢力のアジア大陸からの駆逐である。そのためには傀儡中国政府も同時に倒さねばならない。


整備した空港に真新しい戦闘機と戦術爆撃機が配備され、制空権を確かなものとする。



どうやら日本は香港から上陸したイギリス軍の対処に難航しているらしい。フランスはたいした抵抗も受けないまま、中国の奥地へと侵攻する。


だがその快進撃は、42年6月、英軍と揚子江で握手をしたところで終わった。日本軍が本格的に国境の守りを固め始めたのだ。


だがフランス軍は精強であり、空の支配権を握っていることもあって、じわじわと戦線を押し上げていく。
7月、中国傀儡政府の首都重慶が陥落。


8月、第2都市常徳が陥落すると、傀儡中国はついに降伏を宣言。同時に抗日パルチザンが日本軍の後背を襲い、旧中国領内に実に30師団ほどの日本軍が取り残され、多くは包囲殲滅の憂き目にあった。この戦争の勝敗を決したのは実に中国人民の英断であった。


その後もフランス軍は包囲殲滅を繰り返しながら順調に進撃を続け、8月28日、コミンテルン傘下の新彊までの打通に成功。西方の日本軍を分断する。


翌29日には、日本軍の大陸補給港のひとつである杭州を占領し、南方の日本軍を孤立させることに成功。こうしてフランスは次々と包囲を完成させ、敵の兵力を着実に減らしていく。9月には旧都南京を占領。その後も順調に北上を続け、10月下旬、ついに北京周辺で北から迫るコミンテルンとの間に敵兵力の大半を包囲することに成功した。


そして11月。大陸に残る日本軍を殲滅し、コミンテルンと占領ラインを接する。これで日本の勢力の大半を――朝鮮半島南部ではいまだ抵抗を続けているが――大陸から追い出すことに成功した。この長く続いたファシストとの戦争を終わらせるため、今こそ敵の本拠地である日本列島に上陸し、ファシストにとどめを刺すときがきたのだ。

次章: ファシストの最期

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