2017年1月2日月曜日

HoI4: フランス AAR 第16章 帝国の落日

目次

フランス軍は引き続き征服を進める。第1軍は近場のアイルランドへ、第2軍は山岳地帯のノルウェーへ、第3軍は比較的平野の多いスウェーデンへ。また、新兵から新たに編成された第6軍は、これまた新人の将軍であるラザール・ジョーレ将軍に率いられ、野放しにされていたアフリカ戦線を担当することになった。


北方に押されたスウェーデン軍は兵力を割き、フランス占領下にある南部に上陸して奇襲をしかけるが、この始末はアイルランドを平定した第1軍に任せることにした。最大の敵イギリスを始末した今では、すでに連合国とフランスとでは軍の層の厚みが圧倒的に違っていた。

1944年。季節は冬を迎えつつあった。厳しい気候と山岳地帯に守られるスウェーデンとノルウェーの攻略は一進一退であったが、無謀な上陸戦を仕掛けたことでスウェーデンは10個師団を失い、形勢はフランスに傾きつつあった。


またこの年、ロケット砲の研究を完了したフランス軍は、自動車化部隊に自走ロケット砲を配備する。これにより、機動戦力のさらなる突破力を期待できるようになるだろう。


北方の戦いは順調に進み、10月、スウェーデンとノルウェーが降伏。残す敵はインド、アフリカおよび他の英連邦国のみとなった。


そんな折、ソヴィエトがトルコに宣戦布告する。フランスがイギリスにシリアを占領され、対応が不可能なこの状況を狙ったのだろう。トルコを敵性勢力に奪われては、ヨーロッパとアフリカの連絡が困難になる。やはりコミンテルンとの戦いも避けられないようだ。


フランスはアフリカの戦いを円滑に進めるため、連合国の手により独立させられたリビアに宣戦布告。チュニジアから上陸した第4軍がスエズを目指して走る。


45年2月、スエズ占領。イギリス軍の大分断に成功する。第4軍はそのままシリアの奪還と東アフリカの占領に向かう。

その間、第1・第3軍にはある任務が与えられていた。それは今もヒトラーとムッソリーニをかくまっていると考えられている「中立国」ポルトガルの征服だ。あくまでも中立を訴え続けてきたポルトガルだが、明らかにファシストに好意的なその姿勢は隠しきれるものではなかった。


これまではヨーロッパにおけるフランスの勢力拡大に反対する英ソの介入が予想され手出しできなかったが、今では英国の力はなく、ソヴィエトもトルコとの戦いで手いっぱいだ。叩くなら今だ。4月22日、フランスはポルトガルに宣戦布告。歴戦の機甲師団を止められるはずもなく、5月にはポルトガルは全土占領された。そしてアゾレスやアフリカの拠点を制圧されたポルトガルは9月3日、指導者サラザールとともに本土から逃れていた軍上層部がクーデターを起こし、指導者を銃殺すると、フランスに降伏した。

旧ポルトガル領には騎馬憲兵隊が配置され、ファシスト指導者らの捜索が行われた。やがてムッソリーニが地方のレジスタンスの手にかかり、絞首刑に処されていたことが判明する。ムッソリーニの部下の生き残りを尋問したところ、彼はもうひとりの指導者ヒトラーの居場所をあっさりと吐いたが、憲兵隊がその隠れ家に到着したときにはすでに強い火の手があがっており、火の勢いが収まっても焼け焦げた大量の死体からヒトラーその人を見分けることは困難であった。フランスとしてはこれをもって両指導者が死んだものと発表するほかなかったが、なんとも後味の悪い終わりであった。


その後もフランス軍は順調に進軍し、46年1月にはアフリカ全土を制圧、南アフリカが降伏。


香港にポルトガル軍の生き残りがオーストラリア軍とともに上陸するハプニングがあったものの――


シリアを奪還したフランス軍はアジア方面軍と共同し、東西からインドを挟撃。


3月3日、インド政府が降伏し、戦争は終わった。

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